夏目漱石の経歴
夏目漱石(1867年2月9日 - 1916年12月9日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本の著名な作家であり、評論家でもあります。
本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。彼は江戸(現在の東京都)に生まれ、幼少期に里子に出されるなど、複雑な家庭環境で育ちました。
東京大学で英文学を学び、明治政府の留学生として英国に留学しますが、この英国留学は彼に深刻な精神的ストレスを与えます。
この経験は後の彼の作品に大きな影響を与え、西洋文化との葛藤や日本文化の再評価をテーマに多くの作品を執筆しました。
帰国後、東京帝国大学で英文学の教授として教鞭を執りながら、文壇に登場します。代表作には、『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』、『草枕』、そして晩年の『こころ』や『明暗』などがあります。
特に晩年には、人間の内面に焦点を当てた深刻な心理描写が特徴となり、その作品は近代文学の礎を築きました。
短編小説「夢十夜」について
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html
引用:青空文庫さん
「夢十夜」は1908年に発表された短編集で、10編の異なる夢のような幻想的な物語が集められています。
各物語は漠然とした時間や空間を舞台にしており、夢の中での不条理な展開や象徴的な描写が特徴です。
漱石はこの作品を通して、現実と夢の境界、死生観、人間の心の奥深くに潜む無意識や心理的葛藤を表現しています。
第一話
夏目漱石の『夢十夜』第一話は、幻想的で深い余韻を残す短編です。
物語は、「こんな夢を見た」という一文で始まり、夢の中の出来事が語られます。
主人公は、腕を組みながら枕元に座っており、仰向けに寝ている女性が「もう死にます」と静かに告げます。彼女は美しい瓜実顔で、長い髪を枕に敷き、頬には血の色がうっすらと差し、唇も赤く、到底死にそうには見えないのですが、彼女は確かに死を宣言します。主人公もそれが本当だと感じ、「もう死ぬのか」と彼女に問いかけると、彼女は大きく潤んだ黒い瞳で「死にます」と静かに答えます。主人公はその黒い瞳の中に自分の姿が映っているのを見つめ、彼女が本当に死ぬのかと疑いますが、彼女は再度「死にます」と確信を持って答えます。
彼女は、死んだら真珠貝で穴を掘り、星の破片を墓標にして、百年待ってほしいと頼みます。彼女は「百年待てば、また会いに来ます」と約束します。主人公は「百年待つ」と答え、女性は静かに息を引き取ります。
その後、主人公は庭へ降りて、彼女の遺体を埋めるために真珠貝で穴を掘ります。月光が貝に反射し、湿った土の匂いが漂う中、穴を掘り、彼女を埋め、星の破片を墓標として置きます。主人公は百年の間、彼女の墓のそばで待つことを決意し、赤い太陽が東から西へ沈んでいくのを数え始めます。
最初は一つ二つと日が昇り沈むのを数えますが、次第に数が分からなくなり、赤い太陽が何度も頭上を通り過ぎていきます。それでも百年は過ぎず、彼は次第に彼女の言葉を信じられなくなり、騙されたのではないかという疑念を抱き始めます。
そんな時、彼の目の前に青い茎が伸び、白い百合の花が咲きます。その百合は、まるで彼のために咲いたかのように鼻先で香りを放ち、露が落ちて花が揺れます。彼はその百合に接吻し、顔を上げた瞬間、空に一つだけ輝く暁の星を見つけます。そして、その瞬間に百年が過ぎ去っていたことに初めて気づきます。
この物語は、夢の中で展開される幻想的な世界でありながら、死と再生、時間の流れ、永遠の約束といった深遠なテーマが描かれています。時間の流れが不確かな中で、百年という長大な時間を待つ主人公の姿と、彼女との再会の約束が、物語全体に静かな緊張感と不思議な雰囲気を与えています。
第二話
夏目漱石の『夢十夜』第二話は、武士が禅の悟りを得ようと苦悩する姿を描いた物語です。
物語は、「こんな夢を見た」という冒頭から始まり、夢の中で武士が禅僧との対話を回想しながら進行します。
武士は、自分の部屋に戻り、行灯の火を灯します。彼の部屋には、蕪村が描いた襖絵や、海中文殊の掛け軸があり、静かな寺の夜を思わせる描写が続きます。武士は、自分が侍であることを強く意識し、和尚に「侍なら悟れるはずだ」と言われたことに対して、悟りを得なければ侍ではない、むしろ「人間の屑」だと侮辱されます。これに武士は怒りを覚え、「今夜中に悟りを得て、和尚に悟りを示す」と心に決めます。もし悟れなければ、自刃する覚悟です。
武士は、自分の布団の下に隠していた短刀を取り出し、赤い鞘を外して冷たい刃を見つめます。刃の先に感じる殺気に、彼は自分がこの刃で命を絶つかもしれないという強い決意を感じます。次に彼は全伽を組み、禅の公案「無」を考え始めますが、悟りを得るための集中が難しく、苛立ちが募っていきます。
彼は「無」という禅の概念を心の中で繰り返しますが、線香の匂いや寺の静けさ、さらには和尚の姿が頭に浮かび、悟りへの道は容易には開けません。次第に焦りと苛立ちが増し、無念の感情に押しつぶされそうになります。それでも彼は忍耐強く坐禅を続け、自らの頭を叩いたり、奥歯を噛みしめたりしながら悟りを得ようと必死です。
やがて、彼は感覚が混濁し、行灯や襖絵、畳の存在が曖昧になっていきます。全てが有るようで無いように感じられ、混乱した状態の中、悟りの瞬間は訪れないまま時間が過ぎます。
その時、隣の座敷の時計がチーンと鳴り響き、彼はハッと我に返ります。時計が二つ目の時を打つ音が響き渡り、武士はその音に反応し、すぐに短刀に手をかけます。悟りに至らなかった彼の焦りと絶望が、物語のクライマックスを迎える瞬間です。
この物語は、悟りへの道の険しさや、人間の限界、また武士の誇りと責任感が描かれ、緊迫感と切迫した心情が強く表現されています。
第三話
夏目漱石の『夢十夜』第三話は人が過去に犯した記憶の振り返りの話です。
物語は、主人公が6歳の子供を背負っているところから始まります。その子供はたしかに主人公の子供ですが、異様なことに目が潰れており、青坊主の姿になっています。主人公は不思議に思い、「お前の目はいつ潰れたのか」と尋ねますが、子供は「昔からさ」とまるで大人のような落ち着いた口調で答えます。その話し方が子供らしくなく、どこか不気味であり、しかも対等な態度で話してくるため、主人公は不安を感じ始めます。
周囲の風景は左右に青々とした田んぼが広がり、道は細く、時折鷺の影が闇の中に差します。子供は突然「田んぼにかかったね」と背中で話し、主人公が「どうして分かるんだ」と尋ねると、「鷺が鳴いたから」と答えます。その直後、実際に鷺が二声ほど鳴き、主人公は我が子ながらも、少し怖さを感じます。
その恐怖心が増す中、主人公は「こんなものを背負っていては、この先どうなるか分からない」と不安を募らせます。どこかに捨てられる場所はないかと辺りを見渡すと、暗闇の中に大きな森が見えます。捨て場所を見つけたと思った瞬間、背中の子供が「ふふん」と不気味に笑います。主人公は「何を笑っているんだ」と聞きますが、子供は答えず、ただ「お父さん、重いかい?」と尋ねます。主人公が「重くはない」と答えると、子供は「今に重くなるよ」と言い、ますます不安をかき立てます。
森を目指して歩き続けますが、道はうねっており、なかなか思うように進めません。途中で道が二股に分かれたため、主人公は立ち止まり一息つきます。その時、子供が「石が立っているはずだ」と言います。見ると、確かに八寸角の石が腰ほどの高さに立っており、石には「左り日ヶ窪、右堀田原」と赤い文字で書かれています。その赤い文字は井守(いもり)の腹のような色で、闇の中で明瞭に見えました。
子供は「左が良いだろう」と命令し、主人公は仕方なく左の森へと進みます。心の中では「盲目なのに何でも分かるものだ」と不思議に思いつつも、森に近づきます。すると、背中の子供が「どうも盲目は不自由でいけないね」と言います。主人公は「だから背負ってやってるじゃないか」と返しますが、子供は「負ぶってもらって感謝してるけど、どうも人に馬鹿にされてばかりでいけない。親にまで馬鹿にされる」と言い、主人公の不安をさらに煽ります。主人公はますます不快に感じ、「早く森に着いてこの子を捨ててしまいたい」と考え、足を速めます。
子供は、「もう少し行けば分かる。ちょうどこんな晩だったな」とつぶやきます。主人公が「何がだ?」と鋭く問い詰めると、子供は嘲笑するかのように「知ってるじゃないか」と言います。その言葉を聞いて、主人公も何となく「何か知っている」ような気がしてきますが、それが何なのかはっきりとは思い出せません。しかし、もしそのことが明らかになると大変なことになるような気がし、早く子供を捨ててしまおうと焦りが募ります。
雨が降り始め、道は次第に暗くなり、主人公はほとんど夢中で歩き続けます。背中の子供が、まるで主人公の過去、現在、未来すべてを知っているかのように、鋭く洞察する存在でありながら、それが自分の子供であり、しかも盲目であることに、主人公は耐え難い恐怖を感じます。
ついに森の中に入り、子供が「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根元だ」と明確に指示を出します。主人公はいつの間にかその場所に着いており、子供の言う通りに杉の木の根元を見つけます。子供はさらに、「文化五年の辰年だったよね」と言い、その言葉に主人公も「確かに文化五年の辰年だったな」と思わず答えます。
子供は「お前が俺を殺したのはちょうど百年前だ」と告げ、主人公はその言葉を聞いた瞬間に、百年前、この場所で盲目の人物を殺したという記憶が鮮明に蘇ります。彼は自分が人殺しだったことを認識し、背中の子供が急に石地蔵のように重く感じられるようになります。
この話は、過去に犯した罪が忘れられずに蘇る恐怖や、それに直面することの苦しさを象徴的に描いています。主人公が感じる不安や恐怖は、過去の行いから逃れられないことを暗示しており、夢の中で展開される幻想的な状況が、そのテーマをさらに深めています。